宝泉寺/曹洞宗宝暦より 戻る
■1月/七草ことばの謎
七草スズナ
唐土の鳥が日本の国に
渡らぬ先にあわせてバタバタ
(作者不詳)
松飾の〆の日でした。
古い造り酒屋から刻み包丁と杜氏さんの野太い声が聞こえます。
人の出入りを嫌う仕込み行事として、七草粥のならわしが変わらず勧められているようです。
蔵人は身を潔め心を清め、雑菌の侵入を防いでひたすら酒の醸造に没頭します。
浄土は誰もが望んでいますし、汚されることを嫌います。
昔の異国の侵入者とされた唐土の鳥は、ホンコン風邪のウイルスのようなものでしょうか。現代はカギ社会、個人の安全を優先したつもりでも、唐土の鳥は部屋に住みついているのかも知れません。
何はさておき、小さな自分に閉じこもらぬように、「あけまして」おめでとうございます。
■2月/熱鍋の味
寒い日の鍋物は格別です。
周りのガラス窓が見えないほどの湯気にかこまれて、汗をぬぐいながらの舌鼓は贅のきわみというほかありません。お檀家さんの祥月命日におよばれして、ご家族と鍋物をいただいているときのことでした。ご主人がものを語らなくなり、やがて奥様とお婆さんも深い沈黙となりました。ズズーと鼻をすする音だけが響きます。異常を感じて顔をのぞくと、みなさんの顔はぐしゃぐしゃに涙に濡れています。それとなくお尋ねしました。
亡きお爺さんは極寒のソ連に抑留されてから鍋物を避けられ、晩年になってやっと口にされました。そのたびに肩を振るわせ嗚咽しながら「戦友に食わせたい」と語られたそうです。ご一家の美しい心に盛られた熱い思いが私をまた熱くしました。
雪解けの原野に点る一輪を 手折り軍靴の殿(しんがり)をゆく
(古川俊郎)
■3月/萌草に花の笑み
独身者が増えました。
子どもも少なくなり、田舎の寺では過疎化の波とともに無縁仏がますます増えています。
檀家総出の彼岸奉仕は詣でる人のないお墓の手入れで大仕事です。
清掃された墓所に、春はスミレが咲き乱れても、夏には夏草が覆います。
故郷の人は温かく、縁(えにし)と情(なさけ)を大事にして毎年回向(えこう)を手向けてくれます。
俳人「山頭火」は生涯を独り旅についやしました。すべての生活費を人の情(なさけ)にすがり、乞食(こつじき)をして歩きました。私の寺の門前でもしぐれる日の一夜を過ごしています。日記には、子沢山の母親が泣く子をあやす姿を描きつつ、眠れない木賃宿での句境の深まりを記しています。彼に多少の銭を恵んでくれたのは、貧しさを知る宿のおかみのような人たちでした。その日の句です。
何やら咲いている春のかたすみに (山頭火)
■4月/水まつり
ミャンマー(旧ビルマ)という国があります。
「うつしみの浄土」と賛えられる仏教国です。仏像はもちろん、仏塔や父母や恩師に釈尊を見いだし、礼拝と供養を忘れません。朝食は大半を僧侶に捧げ、残りを家族が食べる習慣です。千年以上続けられてきました。住まいは粗末でも仏塔と心は金ピカです。不満は当然あります。自分の生活を神仏に優先させて贅沢をしたいのは誰でも同じです。欲望の燃えさかる4月にお正月が訪れます。国中の人が三日三晩にわたって水を掛けあい、身も心もすべての汚れを洗い流します。仏陀に感謝をささげつつ、日照(ほて)る日々に新しい決意が固まる水まつりなのです。日本は新年度が始まります。
心豊かに生きる暮らし、ほとけと歩む強さを学びましょう。
信念身儀発露百仏(しんねんしんぎほつろびゃくぶつ)すべし
(道元禅師)
■5月/稲がゆれる
「終わっちゃった」、田植えも施肥も消毒も農協まかせで食べるだけ、そんな農家が増えました。戦後、財産の均分相続が実地され、お金に替えられるものはみな等分されました。分けられない父母と先祖と伝統が残ります。「いや、貧乏クジ゙引いた!」と、長男の軽い冗談が重く聞こえます。ハイテクを駆使した経済農業、高度な頭脳のバイオ農業、夢見たはずの現実が「こんなはずではなかった」と、転業話しに花が咲きます。都会暮らしに飽きがきて自然をもとめる人もいます。素人の稲づくり、なかにははまる人も。元証券マンのKさんは、休耕田をよみがえらせました。有機農業で腕もいい。「足りないものはご先祖さま。田畑がなじむまで百年かかる。子どもも継ぐ」らしい。稲穂と彼の心は揺れています。
稲を得る者は藁も得る (存覚上人)
■6月/賢者の香り
香りあるタガラの花を
バラーサの葉で包めば
香りがその葉に移る
そのように、賢者に親しむ者は
賢者につられ、徳が高くなる (ローカニティー 四十)
南国の夕風は心を溶かします。
タガラ(多伽羅)の花のしわざです。
お経の中にも登場するキョウチクトウのなかまで、サンユウカクとも呼ばれ、
ご婦人の髪を赤く白く飾って快い香りを放ちます。
鹿野苑の釈尊は、最初の説法で五人の僧をとろかしてしまわれたのでしょうか。
いいえ、ともに賢者の素質があったのです。
釈尊の偉大さにふれた方たちが世界仏教に育てられたのはその素養です。
お寺参りをされる方とはご挨拶を交わします。
仏さまの心が通じるようで、タガラの花の思いがつのります。
お墓詣りだけでは、賢者の香りがつたわりません。
■7月/星がこぼれる
美しい夜空。
星の好きな次男坊が小学校にあがるころだったでしょうか。
「星の降る夜だな」
私がしゃべるともなくしゃべったとき、彼は空いっぱいの星を眺めまわして言ってきました。
「傘がいる?降ってくるの」
思わず吹き出しました。どしゃぶり雨でも思い描いたのでしょうか。
「どこに?どこに?」
と追求された記憶が七月の空に呼び戻されます。
あれほど美しい天の川は、このごろお目にかかっていません。
大気汚染が叫ばれる昨今、「銀河鉄道の夜」に似た空は二度と戻らないのでしょうか?オゾン層に穴が開き、降るような星が「どこへ?どこへ?」と逃げていったのかもしれません。今、彼は太平洋の海原を渡り、新天地を求めて開教師に夢中です。
天の川怒涛のごとし人の死へ (加藤楸邨)
つづく