―愛甲三郎季隆・遺跡めぐり―

秋の一日を、郷土の英雄・弓の名手として名高い愛甲三郎季隆(すえたか)の遺跡を訪ねてみました。
愛甲三郎季隆は、頼朝・頼家・実朝と三代に渡る将軍に 仕えて、一代で愛甲の名を歴史に刻んだ武将です。
弓を取っては天下一の名手で、強弓の放つ矢は通常六町も飛ぶ。季隆の放った矢は十五町(約1.5キロ) だから、その二倍半も飛んだと云われています。


―季隆の生い立ち―

久安六年(1150)、愛甲季兼の三人目の男の子として愛甲庄に生まれた。ひときわ体が大きく、見るからに壮健そうな赤子であった といわれている。一族は神のご加護に感謝し、近くの閑香(かんか)明神(現・小野神社)に参拝した。幼い頃から武術に優れ、源頼朝の直属の武士となり、 頼朝の身辺警護や二代将軍頼家の指南役として仕えた。季隆の矢は、人の2・3倍も弓の張りを強くして、しかも季隆はそれを引いたと言う凄まじい腕力 の持ち主であったと云われている。又 騎射を得意としていた。元久元年(1204)二俣川(横浜)において畠山重忠との合戦で重忠を矢で討ち取った 話は有名。
建暦三年に鎌倉由里ケ浜の合戦で討ち死にした。


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曹洞宗 愛甲山「宝積寺」(ほうしゃくじ)(愛甲2874番地)は、江戸初期の創建と伝えられていて、本堂左奥に 愛甲三郎の伝承をもつ二基の五輪塔があり、愛甲三郎の墓と伝えられている。

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写真左上は宝積寺にある愛甲三郎季隆の墓である。右上の写真は愛甲三郎の館跡として指定されているが、本来は東名高速添えにあったものを西北近くの 上愛甲公民館の隣に移転し、「愛甲三郎館跡」として碑を建てています。


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写真左上は円光寺(愛甲1125番地)の本堂。愛甲三郎の墓ではないかと云われているのが円光寺にもあります。本堂脇 南側奥にある宝 印塔(写真右上)がそれです。この塔の碑面には、建久3年正月とあり、愛甲三郎生存中の年号と一致している と云われています。


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臨済宗「円光寺」の堂門・二階は墓堂。同寺の本尊は「聖観音像」で愛甲三郎季隆の守護仏であると伝えられています。 住職は「霊界と話の出来る人」として、TVでお馴染みの織田無道さんです。


―愛甲三郎の伝説―

★愛甲三郎の「遠矢塚」伝説

厚木市内愛名の台地に「遠矢塚」と云う小字の地があります。 愛甲原の館から愛甲三郎が放った矢が、2キロ程離れた遠矢塚(現・やまゆり園辺)に音を轟かせて飛んで行ったと云う 伝説が残っています。


★長谷の「矢立杉」伝説

三郎館から玉川を越えた北の長谷台地に「矢立杉」と言われ愛甲三郎のねらった矢が、 見事に当たった杉が在ったと伝えられている。



蘭花のカットは「なおさんの小さな温室」より提供。
(http://www.geocities.jp/littlesunroom_inheartland/)

背景はみゅさん からの提供です。